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八幡山町会の地区担当・大島さんの八幡山豆知識のコーナーです。
大島さんは普段の生活で当たり前に受け入れている事、知っているようで知らない事を調べ、常会で発表されています。
日常では中々意識しない地元の情報を調べられていて常会内での発信だけではもったいないと思い、HPへの掲載を許可して頂きました。
小・中学校の社会科や地域の勉強などにも是非ご活用頂けたらと思います。

順次記事を頂いた資料を基に更新いたしますので、お楽しみに!

八幡山地区の概要<面積と人口分布>(H30.9現在)

1.八幡山地区の外形
八幡山地区の外形は、北は八幡山駅の南側の杉並区との複雑な境界線の280m、 南側は清掃局前の広い千歳道路920m道路、西は環状八号線に沿った1200mの道路、 東は赤堤通に沿った1400mの道路に囲まれた変形した台形型です。

2.八幡山の面積
1丁目の面積は0.178km2で約420m×420m
2丁目の面積は0.200km2で約450m×450m
3丁目の面積は0.281km2で約530m×530m。
合計0.659km2で約810m×810mと意外とコンパクトです。

3.八幡山の人口分布
1丁目2,678人、内65歳以上が572人、比率21.4%。
2丁目1,368人、内65歳以上が236人、比率17.3%。
3丁目3,860人、内65歳以上が1,269人、比率32.9%。
合計 7,907人、内65歳以上が2,077人、比率26.3%と4人に1人が高齢者となっています。

2丁目の人口が少ないのは明治のグランド、清掃局、動物管理センターなどがある為です。

4.まとめ
これで分かる事は高齢者対策ですが、25%以上が65歳以上の高齢者に対して「行政」はどの様な施策を考えているのでしょう。斬新な施策を期待したいものです。

八幡山の地図です。左から八幡山全域・1丁目・2丁目・3丁目の拡大図となります。クリックで大きな画像が表示されます。

八幡山駅についての概略

町内の入口の八幡山駅について概略をお話します。
京王線の開通は大正2年(1913.4)で、笹塚から調布間で2年後に新宿まで開通しました。
当初、新宿駅の名は「新宿追分駅」で今のJR南口の甲州街道を通ってJRを跨いで明治通りの交差点あたりです。 ”追分(おいわけ)”とは街道の分かれ道を表し、甲州街道と青梅街道の分岐点です。

開通当時の八幡山駅は「松沢駅」でした。場所は今の位置から上北沢駅に150m程寄った松沢病院北門前で、現在敷地内には正門だった門柱が1本立っています。 その後、駅名は「八幡山」になりましたが上北沢駅から300m程の距離で大声が届きました。現在の位置に移転したのは昭和29年頃でした。
因みに、昔は「芦花公園」の駅名も「上高井戸」という駅名だったそうです。

駅の名前に「烏山」「久我山」「浜田山」などの「山」が付く駅がありますが、実際の山はありません。山の意味とは「こんもりした森」の事を表現していたので、そのまま付けたようです。「八幡山」は八幡山神社からとったようです。

乗降客は
八幡山駅・・・約43,000人
上北沢駅・・・約16,000人
芦花公園駅・・・約15,000人

利用客は八幡山地区、千歳台地区はもとより高速4号線の南側、芦花小学校周辺から芦花公園の南側周辺。大東学園・明治大学・日本大学・松沢病院・千歳焼却場・動物管理センター等々。

八幡山と甲州街道

徳川幕府は1600年頃、東海道・日光街道・奥州街道・中山道(なかせんどう)・甲州街道の五街道を定め、街道筋は大名行列・物流・旅人の通行で経済的に潤いました。 しかし、甲州街道は飯田藩・高遠藩・高島藩の三藩の大名行列の通行しか往来を認めていなかったのです。理由は江戸幕府防御のためで交付を幕府勅外地とし防御地にしていました。
また一説によると徳川幕府は甲府に逃げ、下諏訪方面か富士川に沿って駿府に逃走するためとも言われています。

街道の宿場は幕府の公務通達の為に創られた制度です。その為、宿場は常に荷役人と早馬の準備を強いられ、費用は地元負担と決められていました。三藩の大名行列では通行量が少なく、他の街道とは異なり地元負担は経済的に苦しいものでした。
日本橋をスタートした甲州街道は高井戸から街道を進み下諏訪まで行くのですが、経済的に負担が苦しい高井戸宿は「二宿」に分け「上高井戸宿」「下高井戸宿」の二つで維持していました。半月づつ宿場の役割を交代する合宿(あいしゅく)の宿場とし地元の負担を軽くしていたのです。
合宿は甲州街道特有の制度で他の街道ではみられません。宿場の位置は環八と甲州街道の交差点周囲が「上高井戸宿」、現在の京王線桜上水駅北側周辺が「下高井戸宿」で、新宿の宿場は後に出来たもので岡場として栄え、旅人より近隣の男子が通ったようです。


茶壷街道とわらべ歌の話

甲州街道の通行は飯田藩・高遠藩・高島藩の三藩しか幕府が認めていなかったのですが、それ以外に「茶壷行列」がありました。これは江戸城で使うお茶は京との宇治茶と決められていて、京都から江戸に運ぶ行列を言います。幕府勅外の行列なので大名行列さえ道を譲ったと云われる行列でした。
行列の武士は威張り散らし、街道の住民の手に負えない程、迷惑・難題を掛けた行列でした。この情景をわらべ歌として子供の頃、3,4人でうすに見立てた拳骨を並べ「ずいずいずっころばしごまみそずい ちゃつぼにおわれて ドッピンシャン・・・」と歌い、遊んだ経験を誰もが持っているでしょう。

「胡麻味噌を作っていたら茶壷行列が来ました。行列に関わり合いになりたくないので、茶壷に追われるように家に逃げ込み、雨戸をピシャンと閉め通り過ぎるのを静かに待ちます。通り過ぎたら嬉しい事でドンドコショ。静かにしていたネズミも嬉しくて米を食べチュウチュウと泣いています。またどこかでお茶碗の割れる音さえ聞こえます。」

余程の悪の行列で沿道では関わり合いにならないように言い伝えられ、童謡になり今日まで歌い続けられている事は面白いものです。

八幡山と玉川上水

概略
玉川上水はオリンピックを契機に首都高速道路4号の下に潜り、見えませんが八幡山北側500m程の所を流れていました。
1600年に徳川幕府が江戸を開き、参勤交代の制度が確立し全国から大勢の武士や家族、家臣、商人が集まりました。それまでの井の頭湧水、善福寺の湧水による神田川の飲料水では水不足となり、1653年に玉川上水の建設が始まりました。
羽村の玉川取水場から四谷大木戸(今の新宿御苑入口)までの自然流下の43㎞を工期8か月で通しました。勾配は落差92mで、100mで21cmの落差となります。これを8か月間の工期とは驚異的です。

分水
地理的には武蔵野台地の背の部分に造られ、高台なので田んぼは無く貧困な土地でした。1791年に分水が許可され、久我山病院付近から北沢分水と500m上流から烏山用水を引くことが出来、米の田んぼが出来ました。

用水
北沢分水
北沢分水は烏山団地の中心を走り田んぼを造り、甲州街道と京王線を潜り芦花公園団地を走り田んぼを造り、芦花小学校から八幡山団地に日大合宿所に向かって田んぼを作りました。
もう一つは環八のヤマダ電機の辺りは両側が田んぼで上北沢まで伸び、甲州街道を上北沢手前で潜り松沢病院の周遊道将軍池公園の先で東に向かい下高井戸の日大文理学部に向かっています。

烏山用水
烏山用水は烏山駅に向かい仙川寄り京王線を潜り住宅街を通って烏山区民センターから自動車教習所の芦花公園周辺に田んぼを造りました。
玉川上水の分水で稲作が出来、貧困から抜け出せたのです。現在の烏山団地、芦花団地、八幡山団地はオリンピック前は田んぼでした。

日々の水道水は何処から?

八幡山の水道水は東京都水道局の朝霞浄水場・金町浄水場・山口浄水場・村山浄水場・砧浄水場・三園浄水場などの浄水場がありますが、最大施設の朝霞浄水場から送水されています。

水源は群馬県の山岳地帯を源にする利根川で支流の数多くのダム(藤原ダム・須田貝ダム・八木沢ダム・奈良俣ダム・久保ダム・相俣ダム・八場ダム等)を経て埼玉県に下っています。
埼玉県行田で利根川水から一部は取水され14Kmの武蔵水路を流れ鴻巣で荒川に放流されます。そして朝霞の秋ヶ瀬取水堰で取水されて朝霞水路を流れて朝霞浄水場に入ります。

受け入れた河川水の処理は沈砂池でゴミは除塵機で、砂は砂揚機で取り除かれます。次の池では凝集剤を入れて撹拌し、沈砂池で取れなかったゴミを固まらせます。次の池で固まったゴミは池底に沈殿します。
この状態で水は透明になっていますが、急速濾過池を通して不純物を除去し滅菌してポンプ場で加圧し各家庭に配水します。

以前は塩素臭かったですが、現在の滅菌は次亜塩素酸で滅菌しオゾナイザーで臭気を無くし活性炭で不純物を取り除いています。
「オゾナイザー」とはオゾン発生器の事で高電圧で雷の火花を作りオゾンと呼ばれる気体で水中のバクテリアを完全に殺します。ですから塩素臭さは現在ではありません。最終処理として微生物や塩分まで取り除く「膜処理」もあります。

東京都の水源は河川水なので浄水するまでに上述の通りかなりの工程を経ており、費用が掛かっています。例えば山梨県河口湖の河口町や静岡県富士吉田市・沼津市などは富士山の伏流水を水源にしており、殆ど水処理工程はなく配水しているので費用は安く、逆に北海道は配水の距離や凍結対策、人口減少などの理由で水道料金は高いのです。

都内一円の配管は全てネットワークで連絡しているので万が一の際に完全断水の可能性は少ないと思われます。

東京都水道局の水はこのように幾重にも処理しているので安全でペットボトル以上の水質となっています。

八幡山地区の水道水の源流

水源地は二か所で利根川と荒川の山奥です。

利根川の源流は新潟県と群馬県の県境の大水上山です。この大水上山から「谷川岳」「尾瀬」「赤城山麓」の支流を、右岸から「万座」「草津」「長野原」の支流を受け、水量は増え群馬県庁の前橋に入ります。前橋・利根大堰の行田・栗橋・取手を経て322Km流れて千葉県銚子市で太平洋に注いでいます。

荒川の源流は長野・山梨・埼玉の県境の「甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)」で奥秩父から長瀞・寄居・熊谷・鴻巣・川口を経て東京湾に注いでいます。

利根川の水は前橋の次の「行田」で利根川大堰により人工水路の利根導水路(14,5Km)に導かれ荒川の「鴻巣」で173Kmの「荒川」に放流されます。

荒川だけでは日照りなどの天候状況により水量不足になる危険性があるので取水量を増やし、また荒川の浄化を目的に「秋ヶ瀬堰」で取水し朝霞浄水場に導入しています。

詳しくはこちらから「独立行政法人水資源機構」のHPへ

浄水場
取水した水は埼玉県朝霞市朝霞浄水場で浄化され八幡山に届いているのです。昔の水道水は塩素臭がありましたが、現在の高度浄水処理は「オゾンの強力な酸化力の滅菌」と「生物活性炭による吸着機能」を活用した浄水処理で微量のトリハロメタンや臭気をほぼ除去しペットボトル並みの水質になっています。
都の浄水場には「朝霞浄水場」「三国浄水場」「金町浄水場」「三郷浄水場」「東村山浄水場」の5か所に加え、小規模の「小作」「境」「砧」「砧下」「玉川」「長浜」などがあります。

日本の水道水の利点
山岳地帯から急流となり下り、平野部でも流れがありよどんでいることは無く、また流域の自治体には下水道が完備され元帥の河川水に汚濁はありません。
水質には軟水・硬水の二通りがありますが、日本は軟水なので体に悪い影響はありません。硬水にはカルシウムが多く胆石などに罹りやすいため、ヨーロッパなどはエビアンなど代表的な飲料水に頼っています。

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